神川の恵み、
先人の恵みを
守り 伝える

神川沿岸土土地改良区について

当改良区は、現二市(上田市・東御市)を範囲として、昭和27年5月26日に創設されました。
 現在、菅平ダムを中心に、神川から左岸(下流に向かい)で七カ所、右岸で7ヶ所、合せて14ヶ所と、左岸幹線水路から分水している中島堰を加えて15の取入口からなる水利組合を形成し、この集合体が改良区であり、県内でも特異な改良区であります。通常、一つの取入口で1つの改良区を組織しているのが一般的ありますが、それぞれ単独で機能していた昭和24年に成立した土地改良法により、行政指導のもと一体化され、今日があると考えています。
 今回は、受益者の方々に改良区の役割をご説明し、本来各15水利組合が行なわなければならない業務を代行しており、業務は多肢に亘りますが、代表的な項目についてお話しさせて頂きます。

神川水系の歴史

神川水系の堰

神川地区に設置された大小様々に点在する16の堰

菅平ダムについて

菅平ダムは、上水道・発電のための利水専用ダムとして建設された施設で、高原野菜の産地、スキー・ラグビーの地として知られる菅平高原に位置しています。
 ダム建設の歴史は、昭和25年の期成同盟会の結成に始まり、その後、硫黄掘削計画が持ち上がったことによる中断・再開を経て、昭和37年に県営事業として採択され、昭和41年に着工、昭和43年10月に完成しました。
 ダム完成までには、農家の事業費負担や、建設後の管理等の課題がありましたが、多目的ダムとすることや、財産組合の土地を県が保健休養地として開発・販売し、その余剰金事業費に充てるという「菅平方式」と呼ばれる手法により解消されました。
 灌漑用水は、一級河川神川から15箇所の堰により取水され約1300haの農地を潤しています。かつて毎年のように干害に見舞われていた流域農地の生産性は、ダムの完成により飛躍的に向上しました。また上水道、発電、河川の流況が安定するなど農業以外にも多くの恩恵をもたらしました。
 これらの恩恵は、「神川の清流を守れ!」と流域住民が一丸となって硫黄掘削計画を阻止したことや、リゾート開発手法の先駆けとなった「菅平方式」の発案など、先人達がその力と知恵を結集させて成し遂げたダム事業の成果であり、こうした歴史はいつまでも忘れられることなく語り継がれて欲しいものです。
 ダム建設から45年が経過し、補習や補強、土砂の搬出などが必要となっていますが、ダムは今後も地域発展の礎として不可欠な施設であり、次世代に友好な状態で引き継ぐ事が私たちの使命となっています。

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